NEO-SHIBUYA 001
高校2年でした。
母を亡くした1980年のことは、例えば、毎日、学校へ通って何をしていたのか、まるで記憶にありません。
卒業すると、寂しさとともに上京しました。
予備校に出してもらいましたが、高田馬場の名画座で映画ばかり観ておりました。
予備校には鹿児島の高校の同級生もいて、よくしてくれました。
でも、一番の友だちは映画でした。
慶応と早稲田と、いくつかの劇団を受けました。
父は再婚し、新しい家族ができ、鹿児島は帰るところではなくなりました。
そうして、寂しさを抱えたまま、私は俳優になっていました。
渋谷は、我が青春の舞台となった街です。
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