2022.08.22 23:38母のいた東京父の転勤で、小学校に上がるまで東京の世田谷や目黒で暮らした。母は日劇(現 有楽町マリオン)での観劇や、銀座や自由が丘での買い物や食事が特に楽しかったようで、また水も合ったのだろう。鹿児島に戻ってからも東京で暮らしたいと繰り返した。だが弟が生まれ、私は学校が始まり、父の両親と同居す...
2020.01.15 01:44温泉水99の話。FM鹿児島の『アンテナ@beat!! 〜ピピピ♪〜』渋谷区富ヶ谷というところに住んでいた15年前。近所にマルマンというスーパーがありました。ある日、ペットボトルの棚に温泉水99を見つけました。鹿児島県垂水市の水と表記。東京で鹿児島のものに出会うと嬉しいもの。爾来、飲んだり、料理に使ったりするようになりました。そんな東京時代の話から...
2019.02.22 06:352018年 冬来たりなば春遠からじ。慌ただしかった昨年の備忘録です。2018年1月〜3月鹿児島弁の監修と、俳優への方言指導を行なった、映画『かぞくいろ』の撮影のため、1月は東京からスタート。勝手知ったる新宿ですが、宿泊は初めて。全国からJRの電車が流れ込む、池袋の跨線橋で仕事始め。
2017.10.22 20:00NEO-SHIBUYA 003渋谷は、我が青春の舞台となった街です。先日の上京時、早朝の渋谷を歩いてみました。思い出の場所は、すべてなくなっていました。酔っ払って、朝帰りする、かつての私のような若者も見当たりません。その日の昼、30年来の友人でもある美容師に髪を切ってもらいながら尋ねると、「上京して美容師にな...
2017.10.21 20:00NEO-SHIBUYA 002渋谷は、我が青春の舞台となった街です。 上京してすぐ、東京は寒いからと、ダウンジャケットを買いました。西武百貨店でした。 初めての蜷川幸雄さんの作品は、PARCO劇場での『黒いチューリップ』(1983年)。奈落に設えた池から、俳優が次々と登場して驚かされました...
2017.10.21 01:04 NEO-SHIBUYA 001高校2年でした。 母を亡くした1980年のことは、例えば、毎日、学校へ通って何をしていたのか、まるで記憶にありません。 卒業すると、寂しさとともに上京しました。予備校に出してもらいましたが、高田馬場の名画座で映画ばかり観ておりました。予備校には鹿児島の高校の同...