霧島国際音楽祭を作った男たち。
父が亡くなって、来年で10年。その父の同級生で、霧島国際音楽祭の創設者である野村さんが、奥様と、ウィーンから里帰りされるとのことで、お目にかかりました。
お昼といえば、次の予定までに、ラーメンをすすったり、弁当を掻き込む毎日ですが、昨日(6月19日)は、実に2時間かけての、楽しいひと時となりました。
会場は、私の事務所からほど近い、”会席料理 遊花膳こうの”です。
野村さんとは、高校2年の春の、母の葬儀以来でしたから、37年ぶり。
参集されたのは、霧島国際音楽祭創設に大きく尽力された、やはり父の同級生の高山さん、霧島国際音楽祭鹿児島友の会会長の古木さん、同じく友の会の楠元さん、横山さん。
霧島国際音楽祭鹿児島友の会の記念誌上梓にあたり、お世話になっている横山さんだけは5歳ほどの先輩ですが、あとは大先輩。
しかし、現役でお仕事をしていらっしゃることもあって、皆さん、お若いこと。
美味しいお料理(出席者一同大絶賛)に舌鼓を打ちながら、昭和20年代から、現在まで、時空を超えての様々な話に花が咲きました。
鹿児島という隅っこの街で、野村さんと比べると、スケールの小さな暮らしをしています。しかし、今、そこに生かされていることの蓋然性をかみしめて、日々、精進して参りたいと存じます。
鹿児島らしい強い日差しを浴びながら、三々五々下校する小学生たちを追い越し、満腹の腹をさすりながら、気持ちも新たに仕事に戻ったのでした。
0コメント