黒い霧解散
写真の整理をしましたので、折を見て古い写真をアップして参ります。
さて、今日の写真、場所は鹿児島県の南日本放送(MBC)。選挙速報番組を放送中のスタジオの様子です。
中選挙区時代の鹿児島3区、山中貞則、二階堂進、有馬輝武、橋口隆、真戸原勲の5氏での選挙は、1967年1月29日と、1969年12月27日の2回ありますが、橋口隆さんに(自新)とありますし、1969年、父は東京支社勤務でしたので、1967年の選挙であることがわかります。
また、番組は、開票が始まった深夜にスタートしたと思われますので、選挙翌日、1月30日の写真と推察できます。
テーブルに布をかけただけの簡易なセットの、真ん中に座っているのが、放送記者時代の父、32歳です。
カメラや、マイクなどの放送機器、電話機に隔世の感があります。
ところで、その23年後、1990年(平成2年)に行われた第39回衆議院議員選挙で、南日本放送は、山中貞則さんに、早々と当確を打ちました。喜ぶ山中陣営の様子が放送されたと聞いています。ところが、山中さんは、最後の最後に、28票差で落選。報道局長だった父は異動。事実上の左遷となったようです。ちなみに、私は東京在住でした。
この事件は、選挙報道のあり方に一石を投じることとなりましたので、ご記憶の方も少なくないかと存じます。
その後、父は、社長、会長、相談役と、74歳まで南日本放送にお世話になり、退任した途端、あっと言う間に亡くなりました。
1967年1月といえば、私は3歳。
子供の頃、選挙や台風となると、父は家に帰ってきませんでしたが、こうしてテレビで見ることができたことを記憶しています。
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