どこの桜を見に行ったのか。

 今朝、充電中のスマホに、二つの着信歴がありました。一つはイタリアから。こちらは、前向きな仕事の話。もう一つは、悪い予感が当たり、訃音でした。

 病院へ駆けつけると、友人である彼女のお父さんが、涙をこらえて案内してくれました。

 彼女は、薄い緑色のカーテンで囲まれた集中治療室にいました。

 最初に会った時、小学3年生でした。よく気のつく、いい子でした。絵が上手でした。年の離れた小さな子、つまり、我が子とも、嫌な顔一つせず、遊んでくれる優しい子でした。

 弾むような笑い声が聞こえたような気がしました。以前と変わらぬ笑顔のようにも見えましたし、まどろんでいるだけのようにも見えます。

 でも、もう息をしていないのです。

 生まれて初めての経験ですが、立っているのが辛くなり、「ちょっと座らせて」と申しまして、彼女の右手から枕元を周り、左手側の椅子に腰掛けました。

 欲しいものはなかったのだろうか。17歳の誕生日を前にしての急逝でした。

 子どもが先に亡くなるなんて、想像したくありません。

 気丈に振る舞うお父さんである友人が、同じ女の子のお父さんである友人が、真面目で働き者の友人が、不憫でなりません。

 前夜から泊まり込んでいた彼女のおじいちゃんも、各方面への電話連絡から、集中治療室に戻ってきました。葬儀の段取りが話し合われました。途切れ途切れの会話に、私も思い出したように加わりました。

 家に、高校の制服を取りに帰っていた、こちらも友人である彼女のお母さんが戻ってきました。

 看護師さんたちに手伝ってもらって、彼女は、制服に着替えました。

 私は、彼女が高校に入学してから、ほとんど会っていなかったので、制服姿は目新しく感じました。

 そして、彼女は寝台車で、久しぶりの我が家へ帰って行きました。

 私は、通夜にも葬儀にも伺えないので、ここでさようならです。

 春の雨が弱弱しく降り続く家路を、放心状態のまま、しかし何故か急ぎ足で帰りました。 

 途中、並木の桜を見上げました。雨粒を転がし、白い花がしがみついていました。

 桜を見ると、思い出す人が、また一人、増えてしまいました。

 みんな、どこの桜を見に行ったのでしょう。

Site Hiroyuki Tateyama

演出家 竪山博之(たてやまひろゆき)のサイトです。 舞台や、映像、ラジオ番組、コンサートを制作したり、 芸術について話したり、脚本を書いたり、俳優を育てたりしています。 Hiroyuki Tateyama, stage theater producer, organaisez le producteur de theatre.

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